現在のNゲージ車両は、黎明期のモデルと比較するとディティールも塗装も大変な進歩があり、まさに隔世の感があります。
しかし、現在の最新モデルも、当然のことながら、ある日突然に今のレベルで登場したわけではありません。
日本のNゲージ鉄道模型は、1965(昭和40)年に関水金属(KATO)が「C50形 蒸気機関車」と「オハ31形 客車」を発売して以来、現在に至るまで連綿と続く歴史の中で発展してきたと言えるでしょう。
私は、Nゲージを始めてから35年ほどになります。
趣味としては中断期間がありましたが、少年の頃から知っているモデルには、現在に至っても特別な思いがあるものです。
たとえ外見的には劣るようになったとしても。
「オールドモデル」というのがどの辺りを指すのか、人によって定義は様々だと思いますが、ここでは昭和の時代に登場したモデルを紹介していきます。

「クハ103形(KATO)」。
初代モデルは1966(昭和41)年の登場です。
最初期のモデルは連結器にドローバーが用いられていました。
動力は改良されていますが、現在も「KOKUDEN」シリーズとして基本的には同じモデルを入手可能です。
「キハ20系(KATO)」。
これもNゲージ黎明期から続いているモデル。
当時、多くの模型誌に「単行で運転できるキハ20形は、入門機に最適」とあり、私が最初に購入したM車も「キハ20形」でした。
そんな方は多いのではないでしょうか。

「キハ82系(KATO)」は、1975(昭和50)年の発売です。
発売当時としては、ずば抜けた走行性能とディティールを持った、エポックメイキングなモデルでした。
KATOやトミックスからリニューアル品が登場しましたが、少し手を入れさえすれば、40年経った今でも現役で通用しそうです。

「ワム80000形(左)」と「レ12000形(右)」。
いずれもKATOのモデルです。
これらの貨車の発売当時は、モーター搭載の関係で蒸気機関車のモデルがややオーバースケール気味だったのですが、それに合わせたためか大柄に作られています。
現在も改良品がラインナップされている、息の長いモデルです。

「キハ47形」。
左はKATO、右は学研のモデル。
学研のモデルは、もともと「エーダイ」が発売していたのですが、同社が倒産したために学研が引き継いだものです。
発売当時(1980・昭和55年)は、国鉄の最新型ディーゼルカーでした。

「キハ26形・準急色(学研)」は、1982(昭和57)年に発売されました。
当時のKATOやトミックスが一般的な人気車両を模型化していたのに対し、学研はそれらのラインナップから外れた車両を発売していたので、一部で大変な人気がありました。

左から「オハネフ25形(トミックス)」、「同(KATO)」、「スハネフ15形(学研)」。
トミックス製品は、室内灯の取り付けが可能なようにリニューアルされた直後に、「トレインマーク変換装置を備え、テールライトが点灯する」というKATOのモデルが発売されたために、廉価版のような印象を与えることになってしまいました。
もっとも、車体の長さは、若干短いKATO製に対し、トミックスの方が正しいとされています。
「14系15形」は、当時学研しか模型化しておらず、模型店でもなかなかお目にかかれないモデルでした。

「153系(KATO)」。
初代モデルは1977(昭和52)年の発売で、カラーバリエーションとして「新快速色」も用意されました。
所属表記が、洒落の効いた「関スイ」となったのは、このモデルから。
一時期絶版となって入手困難となったのも、今となっては懐かしい。
当初、ヘッド&テールライトは、電球式のオプションでした。

「クハネ583形(KATO)・左」と「クハネ581形(トミックス)・右」。
トミックスのモデルは1978(昭和53)年に発売されたもので、香港製でした。
もちろんライトの点灯などありませんが、「クハネ581形」自体が長らく模型化されなかったので、珍重されていたものです。
KATOのモデルは1983(昭和58)年の発売で、出来の良さと値段の安さで大人気となりました。
当時、技術の進歩は日進月歩で、わずか5年でこれだけの違いが出る時代だったのです。

1982(昭和57)年に発売された、「名鉄7000系パノラマカー 特急仕様車(トミックス)」。
当時、トミックスは先端技術だった発光ダイオード(LED)の導入に熱心だったようで、このモデルでは先頭車のヘッドライトに用いられていました。

こちらも1980年代前半に発売された「ヨ8000形 車掌車(トミックス)」。
なんと、テールライトが発光ダイオード(LED)で点灯するという驚異のハイスペックモデルです。
その分、2軸貨車としては高価で、他が350円だった時代に1,600円もしました。

トミックスの「EF81形300番台」は、1978(昭和53)年に初代モデルが発売されました。
機関車のバリエーションに乏しかった当時、銀色のこの機関車は大人気でした。
写真のモデルは、1981(昭和56)年に発売された3代目製品です。

「キハ181系(トミックス)」は、1980年代半ば頃の発売。
この頃になると、現在のモデルと比較しても遜色ない製品が登場してきます。

「211系(トミックス)」は、実車の登場翌年である1986(昭和61)年に発売されました。
KATOの初期モデルがドローバーを導入しておおごとになったのとは対照的に、オーソドックスにまとめられた手堅いモデル。
発売当時は新鮮だったステンレスボディも、今や当然になってしまいました。
この「211系」が登場して、30年以上が経過してしまったのですからね・・・。
これらのモデルを最新の製品と比較すると、さすがに見劣りする部分が多いですが、それはじっくりとディティールを眺めるような場合であって、全体の印象把握では、今でも劣るものではないと思います。
実際のところ、走らせてみると車体の表記やHゴムの色なんか、見えやしませんしね(笑)。
おおらかな時代のモデルたちですから、部品の流用は当たり前ですし、特定の編成を組むのに形式の不足もあったりしました。
それでも・・・これらのモデルが発売されていた当時は、「鉄道模型」に夢を見いだせる、楽しい時代でもあったのですよ。
(あと、今より安く新品が買えましたね)
現在はディティールアップパーツが豊富なうえ、簡単に入手できますから、私はこれらのモデルにも少しだけ手を入れたりして、現役稼働させています。
(^_^)
しかし、現在の最新モデルも、当然のことながら、ある日突然に今のレベルで登場したわけではありません。
日本のNゲージ鉄道模型は、1965(昭和40)年に関水金属(KATO)が「C50形 蒸気機関車」と「オハ31形 客車」を発売して以来、現在に至るまで連綿と続く歴史の中で発展してきたと言えるでしょう。
私は、Nゲージを始めてから35年ほどになります。
趣味としては中断期間がありましたが、少年の頃から知っているモデルには、現在に至っても特別な思いがあるものです。
たとえ外見的には劣るようになったとしても。
「オールドモデル」というのがどの辺りを指すのか、人によって定義は様々だと思いますが、ここでは昭和の時代に登場したモデルを紹介していきます。

「クハ103形(KATO)」。
初代モデルは1966(昭和41)年の登場です。
最初期のモデルは連結器にドローバーが用いられていました。
動力は改良されていますが、現在も「KOKUDEN」シリーズとして基本的には同じモデルを入手可能です。
「キハ20系(KATO)」。
これもNゲージ黎明期から続いているモデル。
当時、多くの模型誌に「単行で運転できるキハ20形は、入門機に最適」とあり、私が最初に購入したM車も「キハ20形」でした。
そんな方は多いのではないでしょうか。

「キハ82系(KATO)」は、1975(昭和50)年の発売です。
発売当時としては、ずば抜けた走行性能とディティールを持った、エポックメイキングなモデルでした。
KATOやトミックスからリニューアル品が登場しましたが、少し手を入れさえすれば、40年経った今でも現役で通用しそうです。

「ワム80000形(左)」と「レ12000形(右)」。
いずれもKATOのモデルです。
これらの貨車の発売当時は、モーター搭載の関係で蒸気機関車のモデルがややオーバースケール気味だったのですが、それに合わせたためか大柄に作られています。
現在も改良品がラインナップされている、息の長いモデルです。

「キハ47形」。
左はKATO、右は学研のモデル。
学研のモデルは、もともと「エーダイ」が発売していたのですが、同社が倒産したために学研が引き継いだものです。
発売当時(1980・昭和55年)は、国鉄の最新型ディーゼルカーでした。

「キハ26形・準急色(学研)」は、1982(昭和57)年に発売されました。
当時のKATOやトミックスが一般的な人気車両を模型化していたのに対し、学研はそれらのラインナップから外れた車両を発売していたので、一部で大変な人気がありました。

左から「オハネフ25形(トミックス)」、「同(KATO)」、「スハネフ15形(学研)」。
トミックス製品は、室内灯の取り付けが可能なようにリニューアルされた直後に、「トレインマーク変換装置を備え、テールライトが点灯する」というKATOのモデルが発売されたために、廉価版のような印象を与えることになってしまいました。
もっとも、車体の長さは、若干短いKATO製に対し、トミックスの方が正しいとされています。
「14系15形」は、当時学研しか模型化しておらず、模型店でもなかなかお目にかかれないモデルでした。

「153系(KATO)」。
初代モデルは1977(昭和52)年の発売で、カラーバリエーションとして「新快速色」も用意されました。
所属表記が、洒落の効いた「関スイ」となったのは、このモデルから。
一時期絶版となって入手困難となったのも、今となっては懐かしい。
当初、ヘッド&テールライトは、電球式のオプションでした。

「クハネ583形(KATO)・左」と「クハネ581形(トミックス)・右」。
トミックスのモデルは1978(昭和53)年に発売されたもので、香港製でした。
もちろんライトの点灯などありませんが、「クハネ581形」自体が長らく模型化されなかったので、珍重されていたものです。
KATOのモデルは1983(昭和58)年の発売で、出来の良さと値段の安さで大人気となりました。
当時、技術の進歩は日進月歩で、わずか5年でこれだけの違いが出る時代だったのです。

1982(昭和57)年に発売された、「名鉄7000系パノラマカー 特急仕様車(トミックス)」。
当時、トミックスは先端技術だった発光ダイオード(LED)の導入に熱心だったようで、このモデルでは先頭車のヘッドライトに用いられていました。

こちらも1980年代前半に発売された「ヨ8000形 車掌車(トミックス)」。
なんと、テールライトが発光ダイオード(LED)で点灯するという驚異のハイスペックモデルです。
その分、2軸貨車としては高価で、他が350円だった時代に1,600円もしました。

トミックスの「EF81形300番台」は、1978(昭和53)年に初代モデルが発売されました。
機関車のバリエーションに乏しかった当時、銀色のこの機関車は大人気でした。
写真のモデルは、1981(昭和56)年に発売された3代目製品です。

「キハ181系(トミックス)」は、1980年代半ば頃の発売。
この頃になると、現在のモデルと比較しても遜色ない製品が登場してきます。

「211系(トミックス)」は、実車の登場翌年である1986(昭和61)年に発売されました。
KATOの初期モデルがドローバーを導入しておおごとになったのとは対照的に、オーソドックスにまとめられた手堅いモデル。
発売当時は新鮮だったステンレスボディも、今や当然になってしまいました。
この「211系」が登場して、30年以上が経過してしまったのですからね・・・。
これらのモデルを最新の製品と比較すると、さすがに見劣りする部分が多いですが、それはじっくりとディティールを眺めるような場合であって、全体の印象把握では、今でも劣るものではないと思います。
実際のところ、走らせてみると車体の表記やHゴムの色なんか、見えやしませんしね(笑)。
おおらかな時代のモデルたちですから、部品の流用は当たり前ですし、特定の編成を組むのに形式の不足もあったりしました。
それでも・・・これらのモデルが発売されていた当時は、「鉄道模型」に夢を見いだせる、楽しい時代でもあったのですよ。
(あと、今より安く新品が買えましたね)
現在はディティールアップパーツが豊富なうえ、簡単に入手できますから、私はこれらのモデルにも少しだけ手を入れたりして、現役稼働させています。
(^_^)

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