KATOの「8620形」…。
入線記事をアップする機会がないまま、ずいぶん経過してしまいました。
まだナンバー取り付けも、カプラー交換もしていません。
機を失した感はアリアリなのですが、そのうちご紹介できればと思います。
(^^;ゞ
さて!
今回の記事は、機芸出版社刊の「NゲージBOOK No.1」です。

機芸出版社といえば、「鉄道模型趣味(TMS)」の発行元であり、この本はその別冊となります。
昭和56(1981)年6月20日発行ですから…。
え?
なんと39年前の本ですか!?
別冊として出すくらいですから、この本からは、当時の熱い空気が…Nゲージの将来、可能性を感じさせる熱気が、ヒシヒシと伝わってきます。
最近はこういった古い本も入手し易くなりまして、便利な世の中になりました。
(^_^)

この本が発行された頃は、Nゲージで模型化されていなかった車両もまだまだ多かったですね。
市販の機関車の側板を張り替えて、別形式の機関車を仕立てるエッチングパーツ等が売られていたのもこの頃でした。
そんな時代だったからでしょう、市販モデルを改造して別形式を作り出すという作例がとても多く紹介されています。
上の記事は、KATOの「EF70形」の中間台車を作り変えて「ED76形」にしてしまおうというもの。

「ED73形」は、学研の「DD54タイプ」をベースに作り出されています。
なるほどねぇ…確かに「ハト胸」という共通点はありますが。
作例のモデルたちは、現在なら素晴らしい出来栄えの完成品が発売されていますが、当時は斬新なアイデアで形にしていったのですね。
入線記事をアップする機会がないまま、ずいぶん経過してしまいました。
まだナンバー取り付けも、カプラー交換もしていません。
機を失した感はアリアリなのですが、そのうちご紹介できればと思います。
(^^;ゞ
さて!
今回の記事は、機芸出版社刊の「NゲージBOOK No.1」です。

機芸出版社といえば、「鉄道模型趣味(TMS)」の発行元であり、この本はその別冊となります。
昭和56(1981)年6月20日発行ですから…。
え?
なんと39年前の本ですか!?
別冊として出すくらいですから、この本からは、当時の熱い空気が…Nゲージの将来、可能性を感じさせる熱気が、ヒシヒシと伝わってきます。
最近はこういった古い本も入手し易くなりまして、便利な世の中になりました。
(^_^)

この本が発行された頃は、Nゲージで模型化されていなかった車両もまだまだ多かったですね。
市販の機関車の側板を張り替えて、別形式の機関車を仕立てるエッチングパーツ等が売られていたのもこの頃でした。
そんな時代だったからでしょう、市販モデルを改造して別形式を作り出すという作例がとても多く紹介されています。
上の記事は、KATOの「EF70形」の中間台車を作り変えて「ED76形」にしてしまおうというもの。
何とも大胆な発想です。

その「改造ED76形」を側面から見たところ。
中間台車がすごいことになっていますが、アイデアにビックリですね。
また、「20系客車」の電源車にパンタグラフを取り付ける改造も行われています。

「クハ165形」は、「クハ153形」の正面に塗装を加えたもの。
「ED62形」は、実物同様「ED61形」に中間台車を増設したもの。
これ、香港製の初代製品ですよ。
で、「キハ65形」は…なんと「12系客車」から改造されたものです。

その「改造ED76形」を側面から見たところ。
中間台車がすごいことになっていますが、アイデアにビックリですね。
また、「20系客車」の電源車にパンタグラフを取り付ける改造も行われています。

「クハ165形」は、「クハ153形」の正面に塗装を加えたもの。
「ED62形」は、実物同様「ED61形」に中間台車を増設したもの。
これ、香港製の初代製品ですよ。
で、「キハ65形」は…なんと「12系客車」から改造されたものです。

「ED73形」は、学研の「DD54タイプ」をベースに作り出されています。
なるほどねぇ…確かに「ハト胸」という共通点はありますが。
作例のモデルたちは、現在なら素晴らしい出来栄えの完成品が発売されていますが、当時は斬新なアイデアで形にしていったのですね。
また、当時はメーカーの分売パーツも今ほど潤沢ではなかったので、何れのモデルもプラ板とパテ盛り、社外品のパーツで仕上げられています。
感心することしきりです。
きっと、当時は羨望を集めたモデルになったに違いありません。

これは、「一筆で塗り分けが可能な塗料が登場」というジョーク記事。
こういったお遊びも楽しいです。

もちろん、レイアウトやストラクチャーの製作記事も載っており、Nゲージについての一通りの内容は網羅されています。
この「アイデア記事」などは、現在でも通用する内容ですね。

ラストを飾るのは、これまた増刊号である「プレイモデル No.6」の広告。
帽子の縁を走る列車とは…。
実にシュールですが、これが当時はナウかった(笑)のでしょうね。
私は、この頃の本を読むのが大好きなのです。
テクニックや精密度合いでは、現在の模型誌の記事に敵うべくもないところはあるのですが…。
当時の熱量といいますか…現在では失われた「おおらかな楽しさ」を感じるんですよねぇ…。
感心することしきりです。
きっと、当時は羨望を集めたモデルになったに違いありません。

これは、「一筆で塗り分けが可能な塗料が登場」というジョーク記事。
こういったお遊びも楽しいです。

もちろん、レイアウトやストラクチャーの製作記事も載っており、Nゲージについての一通りの内容は網羅されています。
この「アイデア記事」などは、現在でも通用する内容ですね。

ラストを飾るのは、これまた増刊号である「プレイモデル No.6」の広告。
帽子の縁を走る列車とは…。
実にシュールですが、これが当時はナウかった(笑)のでしょうね。
私は、この頃の本を読むのが大好きなのです。
テクニックや精密度合いでは、現在の模型誌の記事に敵うべくもないところはあるのですが…。
当時の熱量といいますか…現在では失われた「おおらかな楽しさ」を感じるんですよねぇ…。

コメント
コメント一覧 (4)
byキリン@少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト(CV:津田健次郎氏)
塗装ミスだ、ここが不正確だ、スケール寸法と違う、etc.………
なんて細けぇ事をあげつらう昨今みたいな事を言わず、なければないなりにどうにかする、という時代の象徴ですね。KATOのDD13初代製品を力尽くで切り継ぎDD16に仕立て直す記事も、この頃のNゲージ本で見かけたものです。
結構中古屋で余っているカニ21旧製品、カニ22っぽくするのも挑戦してみたいものです。現行品買えば楽なのは承知ですけれど。どうせ手持は旧仕様ばっかりですし。
そういえばTwitterのウソ電タグを見ていたら、20系客車をカシオペア塗装にしたネタを見かけました。ご丁寧に『KASIOPEA』と英語ではなく日本語のローマ字表記にしてあったり、ナハネ20の側窓を2段に改変したなんちゃって二階建て車、よく見たら485系改造の食堂車らしき低屋根車が挟んであった、とかなりの凸凹編成でした。
コメントありがとうございます。
・・・キリン・・・。
KATOの「DD13形」を切り継いで「DD16形」を作り出す作例は、この本でも紹介されています。
当時はけっこうポピュラーな作例だったのかもしれません。
難易度はかなり高そうでしたが・・・。
パンタ付きの「カニ22形」、編成に変化はつくのですが・・・。
何となく美しさに欠けるような気がしまして、セットからバラ売りされていたジャンク品の購入を見送ったことがあります。
今にして思えば、買っておけば良かったですね。
(>_<)
これはまた懐かしい一冊ですね。記事の内容の大半は当時の「プレイモデル」の再録ですが、仰るように当時の妙な勢いを感じさせる一冊だと思います。
16番の黎明期は同じ車両工作でも台車とか車輪、モーター以外の部材に工夫を凝らし既存のパーツを改造して、欲しい車両を製作(調達)していてこれがまた読んでいても楽しい記事が多かったのですが、Nゲージの場合「既存の完成車量をキットバッシュして無い形式をひねり出す」という新たなベクトルが生み出され、一種パズルでも見る様な面白さがあります。
私も最近になってからこの当時の記事を参考にしてオハネフ22とかオハフ30なんかをでっちあげてみる事があるのですが、フルスクラッチとはまた異なる楽しさ、面白さがあって工作そのものを楽しめるという意味でこれらの記事を再評価しています。
こういう素朴な楽しみ方はもっと評価されて然るべきですね。
余談ですが当時の「プレイモデルの表紙」はアイデア賞物の楽しさがあるのですが当時思春期のガキだった私なんかは「あの表紙が気恥ずかしくてレジに持っていくのに覚悟が要った」思い出が(恥)
コメントありがとうございます。
なるほど、Nと16番では車両工作のアプローチが異なっていたのですね。
既存のモデルベースなら、フルスクラッチよりも工作に取り掛かるハードルは下がるような気はします。
もっとも、妥協知らずのこだわり派になると、ゼロから作った方が都合がいい場合もあったようで…。
(^^;ゞ
何れにしても、勢いで作り上げたモデルでも許されるような、おおらかな時代でしたね。
プレイモデルの表紙は、確かにちょっと恥ずかしいです…。
(*‘∀‘)