前回はレイアウトの紹介で終わってしまいましたので、今回は列車の走行シーンを紹介します。
「レールワールド人吉」は、肥薩線と人吉駅をモチーフにしたレイアウトですので、テーマに合わせて昭和時代に走っていた車両を持ち込みました。
まずは「E10形(マイクロエース)」です。
「E10形」は、もともとは奥羽本線の急勾配区間である「板谷峠」専用の機関車として製造されましたが、その板谷峠が電化されて使い道が無くなってしまったために、肥薩線の矢岳峠に転用されるべく、鉄路遥々と人吉までやって来たのです。
1949(昭和24)年のことでした。
ところが、大型のE級機である「E10形」は、曲線通過の際の横圧過大の問題を抱えていたため、「肥薩線での運行は不適」と評価されてしまいます。
その後、北陸本線の「倶利伽羅峠」越えの補機に、再度転用されていきました。
「E10形」が人吉に配置されていたのは僅か半年ほどの間だったようですが、板谷峠専用機として製造されたこの機関車が「九州に渡ってきた」というのは、凄い縁だと思いますね。
きっと人吉駅の転車台にも乗ったに違いありません。
旧型客車の普通列車を牽引する「E10形」。
明治時代、八代 ~ 鹿児島間の鉄道開設では、東シナ海に沿う案(現行の鹿児島本線)と、人吉経由の山岳路線とで誘致合戦があり、「艦砲射撃などの標的になりにくい」という理由からこちらの山越えルートが採用され、先に開通したそうです。
時代ですね。
続いては、「D51形(KATO)」が牽引する急行列車。
「E10形」の置き換えに充当されたのは、万能機「D51形」でした。
転車台に乗るのは「C51形(マイクロエース)」。
「C51形」も、人吉機関区に配置されていました。
これは「お召し列車が人吉にやって来た!」というifシチュエーションです。
転車台で回る「C63形・お召し機(マイクロエース)」。
お召し機を乗せて転車台を回すなんて、掛員は栄誉でありながら、緊張で手が震えてしまうかも。
人吉駅のホームに、お召し列車が入ってきました。
御料車のご様子。
人吉を出発したお召し列車が走り去っていきます。
・・・ここは模型ならではのifシチュエーションでした。
さて、次は準急色の「キハ55系」です。
編成両端はトミックス、T車はウィン、M車は懐かしい学研のモデル。
ループを登っていく「キハ55系」。
1959(昭和34)年になると肥薩線におけるディーゼル準急の運行が開始され、「くまがわ」が門司港 ~ 人吉間を、「えびの」が宮崎 ~ 熊本間を、それぞれ結びました。
当時は準急色の「キハ55系」が充当されていたようです。
黒い蒸機機関車と茶色い客車ばかりが走っていた時代です。
明るい黄色に赤帯を巻いた「キハ55系」の姿は、飛び抜けてモダンに見えたことでしょう。
「キハ55系」は、1970(昭和40)年代半ば頃から「急行色」に塗り替えられていきます。
この写真で先頭に立つ「キユニ26形」が肥薩線を走っていたかどうかは分かりませんが・・・。
これはトミックス、ウィンのモデルで、M車は KATOの「キハ58」です。
「キハ55系」の急行列車がホームに停車中。
準急色とはだいぶ雰囲気が異なりますね。
クーラーなしでも、当時の夏は平気だったのでしょうか?
国鉄の路線が、まだ全国各地を結んでいた時代です。
緑の山々に急行色が映えます。
「キユニ17形(トミックス)」を先頭に、一般形ディーゼルカーがループを登っていきます。
町の人々の普段の足は、準急や急行ではなく、こうした普通列車だったでしょうね。
急行が止まるホームの隣で憩うキハ52形(KATO)。
かつての人吉駅では、こんな光景も見られたのでしょう。
ところで、人吉には「キハユニ15形」が配置されていたようですね。
持って行ってたのに、写真を撮り忘れてしまいました。
残念。(>_<)
今回のクライマックス。
「おおよど」を模した「キハ82系(KATO)」の特急列車が、人吉駅のホームに入ってきました。
「おおよど」は、博多 ~ 宮崎を約6時間で結んでいたディーゼル特急で、1974(昭和49)年から 1980(昭和55)年まで「キハ82系」の7両編成で運行されていました。
「キシ」は連結されておらず、「キロ」を改造した小窓の「キハ80形900番台」が編成されていたようですが、ここは雰囲気ということで・・・。
(^^;ゞ
宮崎方面に出発していく「キハ82系」。
運行期間は6年ほどでしたが、「おおよど」は肥薩線初のディーゼル特急でした。
今回の走行はここまでです。
「キハ47系」や「キハ58系」は、次回の楽しみにしましょう。
現在の人吉駅。
「レールワールド人吉」ではとても楽しい時間を過ごさせていただきましたが、肥薩線は、2020年に発生した「令和2年7月豪雨」によって被災し、甚大な被害を受けてしまいました。
現在も八代 ~ 吉松間で不通となっており、復旧のめどは立っていません。
いただいたショップカード。
そもそもが、このレイアウトが設置されている「ビジネスホテル天守閣」さんも、冠水して復旧された施設なんですよね。
大変なご苦労があったのだろうと推察いたします。
カードの裏(表?)面には、「ステーションビジネスホテル天守閣」と、人吉市の「温泉むすめ」である「人吉青井」のイラストが!
ところで「天守閣」では「夜間走行宿泊プラン」をリリースする予定もあるのだとか。
宿泊とセットならば、時間を気にせず走らせることができそうです・・・これはいいなぁ。
福岡から人吉は、ちょっと遠いですからね。
楽しみです。
「レールワールド人吉」は、肥薩線と人吉駅をモチーフにしたレイアウトですので、テーマに合わせて昭和時代に走っていた車両を持ち込みました。
まずは「E10形(マイクロエース)」です。
「E10形」は、もともとは奥羽本線の急勾配区間である「板谷峠」専用の機関車として製造されましたが、その板谷峠が電化されて使い道が無くなってしまったために、肥薩線の矢岳峠に転用されるべく、鉄路遥々と人吉までやって来たのです。
1949(昭和24)年のことでした。
ところが、大型のE級機である「E10形」は、曲線通過の際の横圧過大の問題を抱えていたため、「肥薩線での運行は不適」と評価されてしまいます。
その後、北陸本線の「倶利伽羅峠」越えの補機に、再度転用されていきました。
「E10形」が人吉に配置されていたのは僅か半年ほどの間だったようですが、板谷峠専用機として製造されたこの機関車が「九州に渡ってきた」というのは、凄い縁だと思いますね。
きっと人吉駅の転車台にも乗ったに違いありません。
旧型客車の普通列車を牽引する「E10形」。
明治時代、八代 ~ 鹿児島間の鉄道開設では、東シナ海に沿う案(現行の鹿児島本線)と、人吉経由の山岳路線とで誘致合戦があり、「艦砲射撃などの標的になりにくい」という理由からこちらの山越えルートが採用され、先に開通したそうです。
時代ですね。
続いては、「D51形(KATO)」が牽引する急行列車。
「E10形」の置き換えに充当されたのは、万能機「D51形」でした。
転車台に乗るのは「C51形(マイクロエース)」。
「C51形」も、人吉機関区に配置されていました。
これは「お召し列車が人吉にやって来た!」というifシチュエーションです。
転車台で回る「C63形・お召し機(マイクロエース)」。
お召し機を乗せて転車台を回すなんて、掛員は栄誉でありながら、緊張で手が震えてしまうかも。
人吉駅のホームに、お召し列車が入ってきました。
御料車のご様子。
人吉を出発したお召し列車が走り去っていきます。
・・・ここは模型ならではのifシチュエーションでした。
さて、次は準急色の「キハ55系」です。
編成両端はトミックス、T車はウィン、M車は懐かしい学研のモデル。
ループを登っていく「キハ55系」。
1959(昭和34)年になると肥薩線におけるディーゼル準急の運行が開始され、「くまがわ」が門司港 ~ 人吉間を、「えびの」が宮崎 ~ 熊本間を、それぞれ結びました。
当時は準急色の「キハ55系」が充当されていたようです。
黒い蒸機機関車と茶色い客車ばかりが走っていた時代です。
明るい黄色に赤帯を巻いた「キハ55系」の姿は、飛び抜けてモダンに見えたことでしょう。
「キハ55系」は、1970(昭和40)年代半ば頃から「急行色」に塗り替えられていきます。
この写真で先頭に立つ「キユニ26形」が肥薩線を走っていたかどうかは分かりませんが・・・。
これはトミックス、ウィンのモデルで、M車は KATOの「キハ58」です。
「キハ55系」の急行列車がホームに停車中。
準急色とはだいぶ雰囲気が異なりますね。
クーラーなしでも、当時の夏は平気だったのでしょうか?
国鉄の路線が、まだ全国各地を結んでいた時代です。
緑の山々に急行色が映えます。
「キユニ17形(トミックス)」を先頭に、一般形ディーゼルカーがループを登っていきます。
町の人々の普段の足は、準急や急行ではなく、こうした普通列車だったでしょうね。
急行が止まるホームの隣で憩うキハ52形(KATO)。
かつての人吉駅では、こんな光景も見られたのでしょう。
ところで、人吉には「キハユニ15形」が配置されていたようですね。
持って行ってたのに、写真を撮り忘れてしまいました。
残念。(>_<)
今回のクライマックス。
「おおよど」を模した「キハ82系(KATO)」の特急列車が、人吉駅のホームに入ってきました。
「おおよど」は、博多 ~ 宮崎を約6時間で結んでいたディーゼル特急で、1974(昭和49)年から 1980(昭和55)年まで「キハ82系」の7両編成で運行されていました。
「キシ」は連結されておらず、「キロ」を改造した小窓の「キハ80形900番台」が編成されていたようですが、ここは雰囲気ということで・・・。
(^^;ゞ
宮崎方面に出発していく「キハ82系」。
運行期間は6年ほどでしたが、「おおよど」は肥薩線初のディーゼル特急でした。
今回の走行はここまでです。
「キハ47系」や「キハ58系」は、次回の楽しみにしましょう。
現在の人吉駅。
「レールワールド人吉」ではとても楽しい時間を過ごさせていただきましたが、肥薩線は、2020年に発生した「令和2年7月豪雨」によって被災し、甚大な被害を受けてしまいました。
現在も八代 ~ 吉松間で不通となっており、復旧のめどは立っていません。
いただいたショップカード。
そもそもが、このレイアウトが設置されている「ビジネスホテル天守閣」さんも、冠水して復旧された施設なんですよね。
大変なご苦労があったのだろうと推察いたします。
カードの裏(表?)面には、「ステーションビジネスホテル天守閣」と、人吉市の「温泉むすめ」である「人吉青井」のイラストが!
ところで「天守閣」では「夜間走行宿泊プラン」をリリースする予定もあるのだとか。
宿泊とセットならば、時間を気にせず走らせることができそうです・・・これはいいなぁ。
福岡から人吉は、ちょっと遠いですからね。
楽しみです。
コメント
コメント一覧 (10)
門司港発人吉湯前行
急行「くまがわ」を思い浮かべますよ。
ポチ☆
急行「くまがわ」は、初期はキハ55系、その後キハ58系で運行されていたようですね。
門司港から人吉まで、非冷房車かつ喫煙可の列車に乗っての旅って、どんなだったんでしょうねぇ。
本記事の出走車はこれまでの記事で見かけた、肥薩線と縁がある面々総出というところですね。当方の手持ちでできるのは…『おおよど』にKATO製キハ58系旧仕様、同キハ40系くらいでしょうか。
そういえば蕨の『いさぶろう/しんぺい』中古品を落合の某貸しレイアウトで仕入れたままでした。いい加減に入線整備してやらんと…。
両親の実家が八代だったので
帰省は、くまがわでしたね。
扇風機が回ってた記憶ですからね。
帰りは、玄海3号
電車冷房ですからねー♪
ほんと、KATOから「SL人吉」の発売が発表されましたが、タイミングにビックリです(笑)。
今回の訪問では、事前にレイアウトの概要が分かっておりましたので、車両をセレクトして持っていきました。
マイクロエースの中古モデルは、入線させたら取り敢えず試走させてみた方がいいと思いますよ…。
😅
なるほど、それで「くまがわ」だったんですね。
「玄海3号」は、電車なら475系あたりでしょうか。
当時はごく普通に座席で喫煙してましたからね、冷房車は車内の空気が白く煙っていたこともありました。
私の両親もモクモク吸ってましたね😅
車のヘッドライトが光ったり自作ストラクチャーなどオーナーの拘りが見えるのが面白いですね。
実車の話ですがいさぶろうしんぺい、かわせみやませみは豪雨の影響と観光キャンペーンも兼ねて現在門司港〜博多間で特別運行されてますね。
一度は乗ってみたいんですがなかなか時間が取れず残念なところです。
そうなんです、特定の路線をモチーフにしたレンタルレイアウトは、私も珍しいと思います。
レイアウトの両端には球磨川をイメージしたシーナリィもあったのですが、写真に撮るのを忘れています。
JR九州の観光列車は、どれも個性的なのですが・・・。
私も乗車したことはありません。(^^;ゞ
ある目的の専用機として開発された機関車は、そのまま他に転用するのは、なかなか難しいようですね。
「E10形」と同様に、急勾配線区である碓氷峠用に開発された「EF62形」も、晩年は苦手な平地の高速走行に転用されて、厳しい運用がなされたようです。